浜口梧陵生誕の地へ行って来ました。

学生生活

浜口梧陵さんは、稲村の火のモデルとしても有名で、津波から村人を守り、その後、当時の広村(現 有田郡広川町)の復興支援に携わった方です。

大学の授業で、広川町の空き家問題について学んでいたところ、お隣の湯浅町は訪れたことはありましたが、広川町はなかったので、訪れて見ることにしました。

和歌山市からは、特急くろしおで約30分で到着します。最初は、普通電車で行く予定でしたが、乗ろうとした電車は駅員さんに尋ねると湯浅まで行かないとおっしゃるので、急遽、特急電車に変更しました。

湯浅駅に到着したのが、お昼過ぎだったので、まずは食事処を探すことにしました。

駅横の観光案内所で、レンタル自転車を借りて、5分ほど走っていると、道あかりと書かれた物産センターが見つかりました。

センター内のポスターを見ていると、2階に食事処があるとのことで、上がって見ることにしました。

センターは令和3年にできたそうで、真新しい施設で感じが良かったので、ここで食事を取ることにしました。

地元の食材を使ったものを食べたかったので、漬け鰹と天ぷらとうどんのセットを注文しました。

出てきたお料理は1280円という値段以上に、美味しくボリュームたっぷりでした。

特に、おうどんは手打ちで、センター内で打たれているとの事でした。

レストランの店員さんと話していると、安政の津波で避難した八幡神社をおすすめ頂いたので訪れてみることにしました。

道あかりのレストランからは、八幡神社までは自転車で10分ほどで到着しました。

神社内は厳かで、その一角に浜口梧陵碑が祀られていました。

神社は小さな山に建立され、ふもとを見下ろせました。

実際に広川町を訪れて見ると、海が間近に迫り、津波が来るとひとたまりもない事が実感出来ました。

そうした中、江戸時代に地震の後に津波が来ることを予想できたのは、驚きでした。

浜口梧陵の功績として、稲村に火を付けて村人を避難させた事は知っていましたが、詳細はほとんど知りませんでした。

浜口梧陵記念館が、ちょうどお昼を頂いた道あかりの前にあったので訪れて見ることにしました。

3階建ての建物内では、浜口梧陵が安政の地震で行ったことの映画が上映されていました。

今でこそ、稲わらはほとんど価値がないように思われていますが、江戸時代には、わらじや屋根の茅葺など、生活の必需品でした。その生活必需品に火をつけて燃やすことで、暗闇に灯を灯し、人々の安堵をもたらしました。

また、梧陵は震災後の復興として私財だけでなく、借金までして村人の食料を調達し、また経済の立て直しのため、波除けの堤防建設も行っていました。

梧陵は、広川村を存続するために、身を挺して働き、まさに経世済民の志を実践された方でした。

震災復興事業のみならず、当時流行していたコロナの検疫にも携わってもいます。

なぜ、浜口梧陵はこのような偉業を成し遂げることができたのか。

一つは、陽明学を学んでいたことが挙げられます。学問を通じて新しい知識を得、そして客観的な判断を下すことができたのでしょう。

もう一つは、社長でありながら家業の醤油事業を通じて、雇い人と同じ生活を送ったことで、村民の気持ちを理解することができたことが挙げられると思います。

梧陵は、さらに初代の和歌山県議長をも務めています。

こんな偉人が和歌山にいらっしゃたことは、本当に誇りだと思います。

https://hyakusei-no-ando.com/heritage/濱口梧陵記念館/

 

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