岸和田市のサテライト教室で行われた大学の授業を聴講してきました。
授業内容は、泉州地域の産業の一つである綿業についてでした。
岸和田地域は、タオル等が有名であり、またお隣の泉大津市は毛布の製造が国内の約90%でもあることから、繊維産業が盛んな地域です。
綿のワタには2種類の漢字があり、原料としてのワタは棉と書き、紡いで繊維状にされたものが綿と言うそうです。
泉州地域には、最盛期には数十社の紡績工場がありましたが、今では海外産などに押され少なくなっています。
泉州地域では、綿作は江戸時代に入った頃から始まっています。この地で紡績産業が盛んになった理由としては、和泉山脈からの豊かな水量に加えて、飢饉の際に米作りの代わりとして栽培されていたそうです。
明治に入ると、農家による綿花栽培は、さつまいもの方が利益が出るため、徐々に衰退し始め、明治29年の綿花輸入関税撤廃により。大正5年には、最盛期の約1/200にまで減少したとのことでした。
減少したとは言うものの、国内においては、いまだ衣類や製糸などの繊維の生産は上位にランキングされており、泉州地域の主要産業の一つであるとのことでした。
また、泉州地域には繊維産業により莫大な富を築き、その富を煉瓦産業や鉄道、電灯、製鋼、銀行などに投資をして財閥化した企業も存在していました。
有名な泉州財閥の一つが寺田財閥であり、社長の寺田甚与茂(じんよも)は、煉瓦産業に出資することにより、事業の拡大とともに、岸和田の町の活性化に大きな貢献をしていくことになります。
寺田財閥のみならず、泉州地域では、主に紡績などの繊維産業により、財を成していく人たちが続き現在の水間鉄道の初代代表取締役となった帯谷吉次郎もその1人でした。
帯谷も、煉瓦産業に加えて紡績産業にも進出し財を成していくこととなります。
泉州地区に加えて、和歌山にも工場を建設し、現在、南海電鉄の和歌山市駅手前に煉瓦造りの倉庫がありますが、かつてはこの倉庫は和歌山紡績の工場であり(現在は紀ノ川倉庫の所有)、和歌山地区においての綿布生産の拠点の一つでもありました。
紡績産業は、綿花の栽培から、撚糸、染色、織機動力の製造、及びメンテナンスと工程が多岐に渡ります。
そのため、その工程に応じた諸産業が発展していくこととなります。
つまり、繊維産業は裾野に関連産業を持つことで、人を雇う必要があることから、人が集まっていくこととなります。
人が集まることで、町が形成され、和歌山地区においては、製造された製品である紀州ネルがブランド化されていくにつれ、製造量も増加し、さらに人を呼び込むことにつながっていくこととなります。
しかし、現在においては泉州地区や和歌山においては繊維産業が主流とはなってはいません。
泉州地域がかつては財閥まで拝した地域がなぜ現在のような状況になった原因について、講師の先生にお聞きしたところ、成し得た財を事業ではなく、土地の購入に当てたことがその一因ではないかとのことでした。
事業経営にはリスクが伴い、経営の悪化や倒産の危機に見舞われます。一方、不動産の賃貸収入は、定期的に一定額が見込まれます。
不動産の取得者にとって、リスクのある事業への投資と比較的安定な不動産収入の取得を天秤にかければ、やはり不動産の購入を選択することとなります。
しかし、投資がなされなければ企業は経営を縮小もしくは撤退するかもしれず、人員の整理などが始まることで工場での人員は減少していくこととなります。
人員だけでなく、関連企業の撤退などによりさらに負のスパイラルとなり、関連企業の人員だけでなく、地域一体の人口減少にも影響していくこととなります。
不動産収入を得ることはリスクが少なく、当人にとっては最適の選択肢であったとしても、町全体から見ると、最適解ではないということとなってきます。
街の活性化とは何か。町の賑わいを持続、発展していくには何が必要かについて泉州地域は良い事例だと思いました。
現在の世界経済ではGAFAと呼ばれる、アメリカのシリコンバレー地域で生まれた産業が企業世界を席巻しています。
ですが、GAFAと言われる企業も最初から、財を成していたわけではなく、自分達の夢を追った結果だと思います。
倒産のリスクや事業の失敗が予想されていても、挑戦していくアニマルスピリッツがやはり大事なのだと思います。
現在が良くても、悪くても自分の夢を実現するために実行していくことが大事なのだと、今回の講義を受講し学ぶことができました。
コメント