新世界の発展

仕事のため、ゼミのフィールドワークに参加出来そうもないので、1人で訪問予定の新世界を訪れました。

この場所は、元々は西成郡今宮村という荒れた土地でしたが、1903年に開催された第五回内国勧業博覧会の会場として東の天王寺とともに選ばれたことにより大勢の方が訪れるようになりました。

博覧会開催において通り道になっていた当時の大阪日本橋周辺は、木賃宿や貧民窟などが密集していたことにより、大阪市は街路整備計画を実行することになります。

この辺りの記述は、立命館大学の加藤 政洋先生による『大阪最初のスラムクリアランスとその帰結ー「木賃宿的長屋」地区の形成をめぐって-』に詳しく記述されています。
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no83_01.pdf

現在の天王寺周辺は、JR系の天王寺ミオ、近鉄系のあべのハルカス、東急系のあべのキューズモールと大規模ショッピングモールが隣接し、活況を呈しています。

新世界を訪れた後、上記の店舗を散策してみましたが、若い人や家族連れを多く見かけました。

印象に残ったのは、若いお母さんが館内案内をスマホでQRコードに読み込んでいたのと、高齢の女性が、JR天王寺の駅が分からず、近くにいた高齢の交通整理員の男性に尋ねていたことです。

デジタルデバイスを活用できるのと出来ないのでは、街の暮らし方に影響が出てくるのでしょう。

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