今回は、岸和田市駅から貝塚駅まで歩きました。
岸和田市の紀州街道は、岸和田城の北部にある大阪府道204号線から北にもう一本進んだところにありました。
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江戸時代の街並みを彷彿とさせる紀州街道を歩いていると、紀州街道本町一里塚跡と書かれた石碑が見えてきました。
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案内文によると、天保7年(1836)に弁財天として社殿を祀られたとのことです。
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岸和田城周辺は、蔵屋敷や和菓子店が見受けられ、岸和田は現在も武家文化が色濃く残っている街という印象を受けました。
この日は、気温が26度近くまで上昇し、飲み物を準備していたものの、暑さと空腹のため途中のコンビニで休息を取ることにしました。
当初は、泉佐野駅まで歩く予定でしたが、体調を考慮し今回は貝塚駅までとすることにしました。
貝塚駅前は、小さいながらも駅前商店街があり、駅前には石碑もありました。
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石碑には、「明治参拾年参月」「従是東西海塚領」という文字が刻まれていました。
当初は、貝塚という地名は江戸時代には海塚と書いていたのではと考えていたのですが
貝塚駅構内にある観光案内所のお姉さんに聞いたところ、貝塚市には海塚という地名があり、この観光案内所の住所も貝塚市海塚一丁目ー番一号との事でした。
この案内所では、地元の産物も販売されていて、泉州名産の水茄子を購入しました。
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今回は予定とは違い、約3kmほどの工程でしたが、それなりに楽しめたと思います。
貝塚市には、海塚という地名があるなんて貝塚駅に来ることがなければ知ることが出来ませんでした。
これから、段々気温が高くなって来るので、体調には気をつけて歩いていきたいと思います。
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