今回は(大阪市中央区高麗橋〜中央区日本橋)の約4kmです。
現在、大阪から和歌山へ行くためには、いくつかのルートがあります。
電車だと、南海電車とJR 、車だと阪神高速湾岸線や、阪和高速などです。
江戸時代では、現在の大阪市中央区の高麗橋を起点として、和歌山市の京橋に向けて南下したルートがありました。
それが紀州街道です。 江戸時代には、江戸への参勤交代のルートとして利用されていました。
高麗橋のたもとには、標識が建てられています。里程元標跡(りていげんぴょうあと)と読むそうです。
里程元標とは、明治時代に設置された主要街道の起点を表し、京街道、中国街道、暗越奈良街道、亀岡街道、そして紀州街道の距離を測る際に使用されたそうです。
高麗橋から大阪中之島まで歩いて10分程でしたので、土地勘のある方は、中之島周辺からスタートしてもいいかもしれません。
右手の大きな建物は京阪電車の天満橋駅と天満橋ビルです。桜がとても綺麗でした。かつては、松坂屋大阪店が1966年から入店していましたが、2004年に閉店しました。
紀州街道は現在の大阪メトロ地下鉄堺筋線の上を通り、大阪市の泉州地域をさらに南下していきます。
高麗橋への最寄りの駅は、大阪メトロ地下鉄堺筋線の北浜駅です。駅からは徒歩で10分くらいで到着します。
北浜周辺は、カフェや高層マンションが立ち並ぶおしゃれなエリアです。
右手の大きな高層マンション(The kitahama tower&plaza高さ209.35m)の場所には、かつて三越大阪店がありました。(2005年5月閉店)
また、北浜駅を出ると、重厚感たっぷりの建築物が目に入ります。現在は三井住友銀行となっていますが、江戸時代には、三井両替店でした。
途中に紀州邸跡と書かれた石碑があり、もともとは紀州藩の蔵があったとのことです。現在は郵便局になっています。
そうして、堺筋線上をどんどん南下していくと、問屋街が立ち並ぶ南船場(渥美地区)に到着しました。
今でも、賑わっていますが、かつては百貨店や金融機関が立ち並び、大阪市内でも有数の街でした。
南船場を通り過ぎていくと、ようやくゴールの日本橋に到着しました。
日本橋というと、電気街のイメージがありますが、現在では、メイド喫茶が多く賑わっていました。
現在の日本橋にある高島屋東別館は元々松坂屋大阪店でした。(当時の店名は、松坂屋いとう呉服店大阪店)1966年に天満橋へ移転。
その後、1968年に高島屋が東別館として開設し、現在に至る。
今回は、紀州街道の一部(大阪市高麗橋から日本橋まで約4kmほどを歩いてみました。
普段は、電車で通り過ぎることがほとんどですが、歩いてみると街の雰囲気や歴史物を実際に感じることが出来て良かったです。
次回は、日本橋から堺まで歩いてみたいと思います。
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