和歌山市に住んでいると、清水町の名前は耳にするものの、遠いというイメージが先行し中々訪れる機会はこれまでありませんでした。
今回、清水町の中学校を訪れる機会を頂いたので下見をしてきました。
清水町は、高野山のふもとの町で、かつては弘法大師が、高野山を開くために歩いたルートであり、また江戸時代には、紀州藩主の頼宣公が湯治のため、清水の温泉を訪れたことも記されています。
当時は、高速道路どころか舗装された道がない中、比較的歩きやすい道を選んだと思われます。
そうした道には、人々の往来や食べ物、そして風土や文化の交流があったとされています。
つまり、一言で言えば、清水町は、かつて和歌山の中心市街地の一つだったのではと思い始めました。
今回、中学校の場所を確認した後、せっかくここまで来たのだから、あらぎ島をもう少し見学しようと思い、あらぎ島の道の駅の裏道を上がって行きました。
途中に、何となく感じの良いカフェがあったので、寒い日でもあったので、コーヒーを頂くことにしました。
このお店の名前はkadoさんと言い、古民家を改装し、築70年ほど経っているそうです。家の内装の梁などは、まだまだしっかりしていてとても築70年近く経っているようには見えませんでした。
店内では、コーヒーの他に、山椒やジビエを使ったメンチカツを頂きました。
ここの女性店主さんと、話がはずみ、地元の山椒を売り込むために、フランスやドイツを訪れた話に聞き惚れ、小一時間も長居をしてしまいました。
そして、時間があるのなら、旦那さんも営業しているかんじゃというカフェも良ければ訪れてみて下さいと言われ、訪れてみることにしました。
こちらのお店では、ヤギが一匹放牧されていて、周辺の草刈りに貢献されていました。
ご主人さんに清水の歴史のお話を伺い、お店の名前の由来であるかんじゃは鍛冶屋が訛った言い方で、周囲に鍛冶屋の共同体ができるほどだったそうです。
また、現在では鹿などにより、野菜が食べられてしまう被害があるそうです。
捕獲して、食料にもしているそうですが、人間が食べる量にも限界があり、食べない時には土に埋めているそうです。
清水の町には、多くの獣や木材、そしてきれいで豊富な山水があり、奈良時代から江戸時代にかけて多くの人の往来があったとの事でした。
当時の和歌山は、高野山を始めとして、熊野や和歌山城を人々が多く訪れる場所であったことから、その中継地である清水町は、きっとその往来で賑わっていたことでしょう。
きれいな水に加えて、山の幸に恵まれ、温泉まで備えた清水の町は、当時賑わいの持った町であったはずです。
現在の清水町は、高齢化に加えて林業などの主産業の衰退により、過疎化が進んできています。
しかし、先ほどのカフェを見る限り、まだまだ清水町には、ポテンシャルがあり、人を引きつける魅力を持った町であることが、訪れることで分かりました。
清水町は、これからの地方活性化の一つのモデルでもあると思いました。
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