年齢も50を超えると、様々な経験が積み重なってくるのですが、今になってなぜ私はいままでこれらの行動を選んだのだろうと思うことが多くなりました。
基本はできるかできないかが基準となっているのですが、なぜ、あることがらに対してできると考えたり、出来ないと感じたりするのだろうと思うのです。一例を出すと、私は小学校の修学旅行でバスに比叡山に登ったときに、ひどい乗り物酔いをして以来、自分は乗り物に弱いからと思い、すすんで旅行には行きませんでした。それが、40歳を超えてからゼミのレポート作成のため、現地視察を勧められた際に、最初は自分にはできないと思っていました。ですが、発表するからには、自分らしいレポートを作りたいし、できれば何かの役にたちたい。褒めてもらったりしたらうれしいなと思っているうちに、えいやと思ってやってみると乗り物酔いはしなくなっていました。電車やバスの乗り心地が改善されたのも考えられますが、理由は未だにわかりません。今では過去の経験から未来を予想することが多かったのですが、必ずしも過去の経験が正しいとは決まっていないと乗り物酔いの件からそう思うのです。通常50歳を超えると、終活に向けてソフトランディングを行っていくべきなのだと今まではそう考えていました。多くの人の過去の経験から体力的にも、脳力的にもそうした方が良いとされてきたからです。でも本当にそうなのだろかと思うのです。でもこの考えが正しいのか間違っているのか私には正直なところわかりません。では、何を基準にこれから行動して行けばいいのか。今の所、候補に挙がっているのが【興味】です。わくわくする気持ちと言い換えてもいいかもしれません。理屈ではなく、体が知らない間に動いている。それが自分の行動を左右する大きな基準となっていくのではと考えます。脳がわくわくして、胸のうちになにかざわめくような熱いものを感じたとき、とても充実した時間を過ごしていると感じるときがあります。この気持ちはお金では得ることが難しいのです。こういった出来事をいくつも持っていることが幸せというのではないかと思います。
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