百貨店の前身は、呉服店が多いのですが、なぜそうなのかいつも疑問に思っていました。
大学の先生にお聞きすると、顧客を持っていたからとお答え頂きました。
では、それぞれの呉服店がどういった顧客を持ちどのような経営を行っていたのかを調べてみたくなりました。
そういった疑問に、明確な指針を示して頂けるのが本書です。
呉服店が百貨店に変化していった主な要素は、商品を客前に並べたショーケース化と西洋簿記の採用であると言われています。
それまでは、客は自分の好みの呉服を店員に頼んで持ってきてもらっていたのですが、改革後、ショーケース内の商品を自由に閲覧して購入出来たことで利便性があり、また西洋簿記を取り入れることでお金の動きを記録することができ、販売代金を懐に入れるなどの不正を防ぐことが出来るようになりました。
しかし、人気が大きくなるにつれ増大していく顧客と商品アイテムに対応する必要があり、呉服店がどのように行なっていたのかが焦点となっていました。
著者の摂南大学の武居奈緒子教授は、三越の前身である越後屋の商品仕入れ制度に着目し、商品の販売サイドのみならず、呉服の製造、調達サイドを構築できたことが大量販売を主な販売方法とする百貨店化の基礎になっていると指摘されています。
つまり、呉服店が百貨店に変わっていく事ができたのは、呉服店時代に増大していく商品をどのように供給していくのかについてのノウハウを持っていたからである。というのが本書のkeyポイントです。
具体的には、越後屋は後発の呉服店であったため新規の買宿(今の卸)を上州(今の群馬県)や八王子や青梅などに設置していき、原料や製品を確保できる仕組みを構築できていたことが百貨店化に大きく影響しています。
エスカレーターやエレベーター、冷房装置の導入や食堂、屋上遊園地など顧客が好む設備を設置したことも、百貨店化の重要な出来事ではありますが、
商品を切らさないというロジスティックを越後屋の時代に構築できていたことが、越後屋から三井呉服店を経て三越へと変遷していった主な要因である。という武居先生のご指摘は目からウロコでした。
越後屋がこうしたロジスティック網を築くことができたのは、後発の新参呉服店であったため、古参の呉服店に妨害されることなく、商品を仕入れる必要があったからでした。
上手く行かない現状に、嘆くだけでなく、いかにすれば打破できるかを考え、行動した結果が越後屋を業界上位に引き上げただけでなく、百貨店(デパートメントストア)へと変革できた源泉であるとも言えるだろう。
現在、コロナにより旅行、旅客運輸、飲食は顧客が大幅に減少しています。その現実をコロナのせいにして嘆くだけで終わるのか、いかにして存続していくのかは、越後屋スピリットが多いに参考になるのではないかと思います。
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