名張の藩主 東堂高吉(たかよし)の家臣に福井文右衛門という方がいます。
この方は、地元の水不足を解消するため、許可を得ず神社の下を掘り、その責任を負って自害しました。
この時代、神宮の下を掘るなどもっての他で、文右衛門のみならず、領主にまで責任が負う可能性がありました。
今の時代でも、他人様の土地を掘るなどは法律違反になり罰せられます。
しかし、文右衛門は民の暮らしをなんとかしたい一念で、行動を起こしました。
行った行為は、間違った行為ではありますが、後世の人々の暮らしを豊かにしました。
江戸時代に、神社の下を掘る許可を求めようとしても、多分無理だと文右衛門は考えたのでしょう。
一方、名張の街は、特急は止まりますが、街のエネルギーは枯渇しているように感じます。
もっと多くの人が定住すれば、活気が出るかもしれませんが、その反面、今の名張の良さも消えてしまうかもしれません。
外から来た私にとっては、本屋さんや、スタバがあれば良いのになとは思いますが、その状態が必ずしも名張の街や人にとって良いかどうかはわかりません。
水不足に困っている田んぼに水を引くように、衰退化している街に人を誘致することは一見良さそうには見えますが、何かを失くすことにもつながるのでしょう。
かといって、このままでは益々、衰退化が進行していくのは目に見えています。
名張の街をどうしたいのかは、やはり名張に住んでいる人の意見をまず優先すべきであり、外部は一旦、発言を押さえるべきなのかも知れません。
全ての人を納得、満足させる解はないのかもしれませんが、その間に着々と衰退が進行しているのを見るのは辛いです。
参考文献
31 福井氏流水記功碑
三重の歴史がよみがえる。歴史の情報蔵
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